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「ねえ、啓太」
「……あー?」
遠くで響く乾いた炸裂音を聴きながらシートに寄り掛かってうとうとしていた啓太の耳に、少し離れた場所で待機している美咲の声が届く。
エンジンを停止している為に最低限の蛍光灯のランプしか灯っていない薄暗いコクピットの中で身体を丸めていた啓太は、だるそうに起き上がって頭を掻いた。
メインビューの右下で、四角の枠に区切られて胸から上だけ映っている美咲が口を開く。
「お腹すかない?」
またか、と啓太は深いため息をついた。
朝から晩まで腹をすかせた美咲の、本日三度目の「お腹すかない?」。
「すかねぇよ」とあしらいながら、シートの上に投げ出してあったビスケットの包装をさりげなく尻の下に隠す。
ビスケットを持ち込んだ事がバレでもすれば、二重の意味で説教を始めかねない。
「そんなもの持ち込んでいいと思ってるの」「なんで私にもくれないの」だ。
顔色と声色から、相当腹をすかせているものと推測される。
しかし、腹が減ると怒りっぽくなる傾向がある美咲だったが、今回ばかりはそう責められるものでもないかもしれない。
朝食をとったのが午前五時前で、すでに十一時を回っている。
それから交代も無しに、国葬の式場前の広場から動く事も許されずにコクピットに座ったまま。
式に参加する大竹と違い、式の終了まで延々と待ち続ける他に無いというのはなかなか苦痛だった。
出来る事と言えばこうして仲間と通信して退屈を紛らわせるか、その仲間に隠れてビスケットをかじるか、空に浮かぶ各国の戦艦を観察する事くらいだ。
「も、ダメ……死んじゃう」と呟いて通信を切った美咲の顔が消えたメインビューに代わりに映った蒼い空を眺め、啓太はほっと息を吐く。
人間は晴れの空しか見上げたがらないらしい。
啓太の見上げる空は、いつも蒼く澄んでいるから。
ロシア空軍のエレナ少尉が乗った【ミグ】と石狩湾上空で空戦寸前の応酬をした時も。
悪い友人を作って“それらしく”悪ぶり、出来る事なら朱に染まってしまいたいと望んでいた中学時代、空軍の士官に殴り飛ばされた真夏の昼下がりも。
両親がこの世の人ではなくなった事を知った、元旦の朝も。
初めての空戦を終えて見上げた空は、アスファルトに身を焦がしながら見上げた空は、枯れ枝のような腕で必死に抱き締めてくれた祖母の肩越しに見上げた空は、突き抜けるようにいつも蒼かった。
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