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氷と少量の水を桶に満たして戻って来た時には飴蕗は蒲団の中が息苦しくなっていた様で、頭半分だけを出して木扉に背を向けていた。
鼻先で嘲笑う様な溜息をふっと吐き捨てて手元の氷に目を遣った樒は元々下がった目尻を更に少しだけ引き下げる。
本当に成長していない。老いる事も無い。
――変わる事も。
「何時まで拗ねて居る気だい?」
サイドテーブルの面が硬質の重量を受け止めてずしりと音を立てた。
氷同士が擦れて水面を揺らし、跳ねる。
机上に置かれた古いランプの中で暖かな金色の火は振動に驚いて煤を吐く。
捲り上げた袖から若芽色のシャツを引き抜いて白衣の中に仕舞い込みながらそんな事を言ってみるが、白い巻き毛は微動だにしない。
業を煮やして顔を顰めた樒は肩を掴もうと手を伸ばして漸く違和感に気付いた。
「飴ぶ………おや。」
眠っている。
起こさぬ様、静かに力を加えて仰向けにしてやれば穏やかな呼吸音がより明白に伝わってきた。
氷を取りに行った序でに彼女の従僕達から最近の容態を聞き出した事もあって、安堵の溜息が自然と零れる。
最近は外出を控え、発作も少ないのだと言う。
其れは喜ばしくもあり、又心配でもある。
身体の造りを人と異にするきめらにが病如きで死ぬ訳は無いが、其れ故の苦しみも当然存在した。
特に彼女、飴蕗の場合は。
人外を診られる医者、君影樒さえ此の特異体質の前には半ば匙を投げざるを得ない。
無駄だと解って居ても、こうして往診に足繁く通うのは樒とて嫌々の事では無かった。
「…私の友人で居続けられる者は稀少なのだよ、飴蕗閣下。
退屈だけはさせないで呉れ」
目を覚ました時、解けきった氷と書き置きと薬だけが部屋に在ったら飴蕗はどんな表情をするだろうか。
彼は答えを知っていた。
机に頬杖をつき、珍しく本心から笑う。
「珈琲と本が欲しいな」
振り返って木扉に呟き、君影樒は大欠伸をした。
柱時計がティータイムを告げる。
寝台から垂れ下がった長い尾を拾い上げ、煌めく鱗を指先で撫でて蒲団の中に戻してやると、白蛇は夢を泳ぎながら薄く笑んだ。
(飴蕗、白蛇の知と燕の児戯)
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