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「ただいまー」
「お帰り。今日は早かったね。ご飯は?」
学校から帰ると、リビングでテレビを見ていた母が声を掛けてきた。
「んー…もう少ししてからでいいよ。今からちょっと出掛けてくるから」
「また歌いに行くの?」
怪訝そうな表情を浮かべる母に
「ん」とだけ返事をして、2階にある自分の部屋にトントンと足音を立てながら登っていく。
高校に進学し、こつこつ溜めたバイト代で、ギターを買った俺はちょくちょく人の集まる場所で歌うようになっていた。
場所は公園、駅、待ち合わせのスポットなど様々だった。
きっかけは作詞、作曲を始めたことで、1人でも多くの人に自分の作った曲を聴いて貰いたいと思ったのだ。
母は俺が歌手になるという夢に反対こそしていなかったが、高校に進学してからはあまりいい顔をしていなかった。
やはり心配しているのだろう。
ギターを担いで駅前の広場に出ると、すでに路上ミュージシャン等でごったがえしていた。
2人組で自作の曲を披露するアコースティックナンバー専門のユニットや
楽器を持たずにアカペラで歌う人達など、様々なアマチュアミュージシャンが集まってきている。
音楽のジャンルは違うけど、どの顔からも“歌うことが好きだ”という強い想いが伝わってきた。
俺は何かあって自分の進むべき方向性が分からなくなった時、よくここに歌いに来た。
ここの空気に触れることは刺激にもなるし、何よりも沢山の人の前で歌う事の快感は、今まで生きて来た中で味わったことのないものだった。
だがしかし、東京駅を忙しそうに行き交う人の群の中で、足を止めてまで聴いてくれる人はそうそういなかった。
中には固定ファンが出来ている人もいたりしたが、そんな人はごく一部の、名前が売れていて業界からも声が掛かる程の人達に限られていた。
大抵の通行人はひとりギターをかき鳴らし、歌う俺を好奇の目でチラッと見ると足早に通り過ぎていく。
だけどいつか誰かの心に響く歌を歌うんだ。
そう固く決意して俺はいつもこの場所に向かっていた。
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