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ねえ、と彼女がわたしの方を向いて言う。
ん?とわたしは訊く。
彼女は言う。
あのね、いままでいろんなところを旅してきた。きれいなものも、汚いものも、いろいろと見てきた。
でもね、
と言葉を切って、彼女はしっかりとわたしの目を見る。
でもね、
一番の、景色は、
一番、おいしいものは、
一番、楽しい時間や、
一番、大事な思い出は、
一番、大事な人と一緒につくるんだよ。
そう言って、彼女は笑う。目をうんと細めて、大きな口をにぱっとあけて。
だから、
今日のステーキは
きっと、
一番おいしいにちがいない。
旅なんかしなくても
彼と過ごす時間は
あなたにとって
一番素晴らしいに違いない。
近くにある素晴らしいものを
素晴らしいと感じられることが
いっちばん、素晴らしい。
そう言って彼女はまたにっこりと笑う。
うん、とわたしは言う。なんだか照れくさい。照れくさくて、少し足元を見てしまう。
あなたは、と言いながら彼女の方に目をあげると、もうそこに彼女はいなかった。
さきほどまで彼女が座っていた席には登山の格好をして黒いリュックを膝に置いた老人がもうすぐ訪れる降車の時間を今か今かと待ちかまえている。
思わず周りを見回すが、あの女の子の姿はもうどこにもない。
わたしは、頭を掻いて、大きなため息を吐く。
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