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「あ…あの、支払いが…」
柚子が受付の女性にたずねようとすると、彼女はにこやかにこたえた。
「真崎柚子様。入院費の精算は既に済んでおります」
――え?なんで?
思い当たるのは柊太朗しかいない。
こんなことで迷惑をかけたくないのに。
「タクシーも勝手に呼ばせてもらったわ」
「ええっ!」
松原が柚子の荷物を持って、さっさと玄関の方へ行ってしまうので、柚子は慌てて追い掛けた。
「まっ…松原さん」
松原は柚子を待たず、開いたタクシーの後部座席に荷物を詰むと、「運転手さんよろしく」と運転席の男性に封筒を渡した。
「はい乗って」
見かけによらず強引な松原に、柚子はタクシーに押し込められると、にこやかに手を振る松原を尻目にタクシーは動き出した。
「…う…運転手さん、行き先は…」
「ええ、伺ってますよ!」
バックミラー越しに笑顔で言われ、柚子は愛想笑いを浮かべるしかなかった。
それにしても入院費、柊太朗にどうやって返そうか、と悩む。
それを口実に会える、と喜ぶ自分と、会って期待したくない、と警戒する自分がいる。
だいたいいくらだったのかも分からないから返しようがない。
全然会いに来てくれなかった癖にそんなことだけ卑怯だ。
ぼんやり景色を見ながらそんなことを考えていた柚子は、タクシーが停まるまでそこがどこか気付かなかった。
「着きましたよ」
言われて見えた建物は明らかに兄の住むマンションではなく、お洒落な洋風の異人館の様な建物だった。
「え?ここ…」
「こちらで料金も頂いてますよ」
タクシーの扉が開くと同時ぐらいに、建物の中からスーツ姿の綺麗な女性が現れた。
「真崎柚子様、お待ちしておりました」
「…へっ!?」
名前を呼ばれたのだから間違いないのだろう。
タクシーを降りないわけには行かず何とか礼を言って荷物を持ってタクシーを降りた。
「あ…の…、ここは…」
「真崎様こちらへどうぞ。叶様から承っております」
叶――実也子の名前が出て少しほっとする。
それでも一体ここがどこなのかさっぱり分からない。
しかし、柚子の質問ははぐらかされながら、裏口のような所から建物の中に連れていかれた。
「こちらでございます」
女性が一室の扉を開ける。
「待ってたわよ!」
中には何故かアキラがいた。
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