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柊太朗は診察を終えると医局に向かった。
今日はこれで帰れる。
時刻は20時38分。
食事はまだだが帰ってもおそらく夕食は用意されていないだろう。
今朝も出てくるときに「遅くなるかもしれないから食事はいい」と言ってある。
最近は、ほとんど妻と食事をしていない。
早く帰れば用意してくれているのだが、二人でこれといった会話もなく食べるのは気が重い。
朝食は時間が早いだけに妻が用意したものを食べるが、一緒に食卓につくことはないのだ。
今日は月曜日だから由梨花の家に行くわけにもいかない。
由梨花と会うのは木曜日と決めてある。
さて、どうしようかと考えながら医局のドアを開けると、後輩の杉原と医局長の宇野、それに見知らぬ女性の後ろ姿が目に飛び込んできた。
「あ、真崎先生。診察終わりました?」
「真崎君、お待ちかねだぞ」
ふたりの言葉に女が扉の方を振り返り笑顔を浮かべた。
「お疲れ様でした。父に呼び出されたので帰りにご挨拶に寄りました」
その姿には見覚えがないが、その声に聞き覚えがある。
彼女は扉のところで立ち尽くしている夫のもとに歩いてきた。
「どうしたんですか?」
心配そうに柊太朗を覗き込む。
「あ…いや。なんで…」
柊太朗は驚きのあまり言葉が出てこない。
「父に呼び出されたんです。突然来てしまってごめんなさい」
柚子にさっきの説明を繰り返されはっと我に返る。
「真崎先生、こんな綺麗な奥さん隠してたんですね」
「こんなところでよければまた来て下さい」
若い杉原と年輩の宇野に浮かれた様子で話し掛けられ、人前だと思い出すと、なんとか気を取り直す。
「ちょうど帰るところだから」
いつもの笑顔をなんとか作って柚子に言うと、室内のふたりに顔を向けた。
「妻が突然すみません。お先に失礼します」
そう言うと「また来て下さい」と名残惜しそうな声を聞きながら医局を後にした。
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