③632字

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最近、新聞やテレビのニュース等で親が幼いわが子を育児放棄や虐待によって命を奪うという事件が後を絶たない。 勿論今までもあったことではあろうがそういった事件がこれまでよりも顕著になっているように思う。 命の尊さに無頓着でわが子は所有物だと言わんばかりである。 一方で、呆れたことに高齢で衰弱した親が行方不明でも「知らない」という人まででている。 以下「」内の文章は讀賣新聞の8月21日の編集手帳からの引用。 「心の通話ができる携帯電話に、故障がつづく。母の側の受話器が破損した例が『虐待』や『育児放棄』ならば、この側の受話器が破損した例は『消えた高齢者』だろう◆東京・羽田のアパートで、住民登録上は『104歳』になる母親がリュックから白骨遺体で見つかった。息子(64)は、『9年前に病死し、ミイラ化したので砕いた』と話している。年金を不正に受給した疑いもあるという◆リュックの中の母は、子のおなかにある、かつてコード(ここではへその緒を指す)で結ばれていた受話器に何を語っただろう。自分の変わり果てた姿のことは忘れて、息子を憐れむ言葉を告げたかも知れない。母親とはそういうものだから」 私はこれを読んで胸に突き刺さった。年金不正受給云々以前に、自分を育てた母親の人としての最期を隠した。死を弔ってもいない。こんな話があっていいのか。役所の怠慢も問題だが私はそれ以上に親が亡くなっているにも関わらず親にこのように弔いもせず死を隠す者が何人もでてしまっているということが大変遺憾である。
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