≪三≫

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~緋~ 日本橋、反物問屋『三善屋』の上の息子は、知恵が足りぬのではないかと囁かれ始めたのは八年も前の事である。 今もその是非は、はっきり分からぬままだった。 街の者は、かの息子を毎日見ようと思えば同じ場所で見る事が出来た。 三善屋緋桜。 今年十九になるこの若者は、江戸の街を毎日練り歩く。 表通りと名が付く場所は、道筋を決めて同じ刻限に現れた。 だが違っている事もある。 いや、毎日歩くのにはそちらの方に大きな訳があった。 三善屋緋桜は毎日違う着物を着て歩く。 お人形の様な若さまが綺麗な着物を着て歩いている。 そう言う噂は風が裏道を通り抜けるよりも早く、江戸の街を駆け抜ける。 しかし― 緋桜が纏う着物は一寸変わっていた。 紬は上等。 上田紬に白山紬、本場大島紬に郡上紬。 様々な織物を身につける。 だが、色が―。 桜色。 桃色。 一斤染め。 鴇色。 みな幼子の頬の様な淡い色合いなのである。 それに錦を織り込み、花を描き上げ、豪奢に着飾る。 男の、少なくとも江戸の男は決して着ないものだった。 だが緋桜は女子の成りをしている訳ではなかった。 ちゃんと男物に仕立ててある。 緋桜自体も男の姿を整えていた。 月代も剃り上げ本多髷をきりりと結い上げていたのである。 ともすれば、一見には緋桜は粋人に見えたかもしれぬ。 だが男どもは眉をひそめた。 あんな者は男の端くれにも置けぬ。 皆口々にそう言った。 ならば何故、緋桜は歩くのか。 お人形の様な若さまが―。 緋桜を見るのは全て女子、若しくは年頃の娘を持つ親であった。 緋桜が着ている着物は江戸でこれから流行る、或は上方で今流行っている女子向けの反物から出来てる品々なのである。 緋桜が着ている着物を金持ちの娘が親にねだり、親が見て娘に買い与える。 緋桜は文字通り歩くお人形だった。 毎日違う着物を着て歩く。緋桜は十年以上それだけをして生きていた。 私は―。 歩く。 それだけ。 他はどうでもよい。 お人形の中身は空っぽだった。
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