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思えば私がその夢を抱いたのは、何が切っ掛けだったか。
幼稚園の頃に読んだ児童向けの絵本だったかもしれない。
小学生になって、少しだけ背伸びをして読んだ名も知らぬ海外文学だったかもしれない。
中学の時の友人に薦められた太宰だったかもしれない。
大学受験に破れ、失意と決意の中読んだ鴎外だったかもしれない。
人並みに心打たれた。人並みに涙した。人並みに憧れた。
けれど私は、人一倍臆病だった。
いつしか『小説家になりたい』という私の夢は、心の奥底にしまい込む為だけに存在する、ある種の言い訳のようなものへと変わっていた。
新入社員として今の職に就いて、既に十数年が経つ。忙しく心を亡くすかのような生活にもとっくに慣れ、結婚も出来た。順風満帆と言えば過ぎた物言いかもしれないが、少なくとも私は今、確かに幸せだった。
安寧が、心地よい。
けれど、何故だろう。
私は最近よく、夢を思い出すようになっていた。
書斎の机上では、書き殴られた原稿用紙が今も首を揃えて私の帰りを待っている。
私は――。
ふと気が付くと、そこは家の近くにある公園だった。古くからこの街にある病院が隣接し、新しく出来た住宅街がそれを取り囲む。
ぶらり。ぶらりと。
今は若葉に身を包む桜並木を視界の端に。公園内を流れる小川に沿って私は歩いていた。
せせらぎが耳に涼しい。風が吹いていた。ざわざわと、木々が踊る。
その時。
それらに混ざって、私の耳に『歌』が届いてきた。
ふらり。ふらりと。
意識する暇もなく、私の足は声に誘われていた。遊歩道を抜け、川を渡り、モニュメントを尻目に、その場所へと向かう。
そして――私はその少女に出会った。
公園の中心である噴水を背に、長い髪を風になびかせ、月明かりと遠くの街灯をスポットライトに歌う少女。
ローティーン程だろうか。薄い水色のパジャマに身を包み、僅かに覗く肌は病人のように白い。
綺麗だった。
美しく――歪んでいた。
まるで。その少女がそこにいること事態が矛盾しているかのようなアンバランス。
綺麗に、不似合い。
美麗に、不釣合い。
沈みかけた夕日のように、とても儚げに見えた。
声をかけるのがためらわれるほど、脆そうな光景だった。
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