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村田医師の白衣から漂う加齢臭が鼻をついた。
村田医師は、カルテと思われる書類を机の上に広げ、仏頂面で見つめていた。
「心拍数、血圧ともに異常なしか、困ったものだね」
医師として不謹慎な発言にも聞こえるが、私も全く同じ気持ちだった。
「昏睡状態になって、今日でちょうど8ヶ月になりましたね」
私と母は頷く。
「今一度、お尋ねしますが、妹さんが倒れた時、何か物理的にまたは精神的に強い衝撃を受けるようなことはありませんでしたか?」
村田医師は、この質問を純花の主治医になってから口癖のように私達に尋ねていた。
「はい。
純花と一緒に居間でテレビを見ていたらいきなり…」
母は、いつも決まったようにそう答えていた。
村田医師の視線が私に向けられる。
「私は学校に居ましたので、わかりません」
村田医師は、小さく溜め息をついた。
「正直に言うと、もう治療の仕様がありません。
最善を尽くしたつもりです」
村田医師の言うことは最もだった。
素人の私から見ても村田医師は出来る限りの手は尽くしてくれた。
治療はもちろん、海外から有名な医師を呼んでもらった。
「純花さんのように昏睡状態になるのは脳に原因があるケースがほとんどです。
脳に事故などで強い衝撃を受け、脳内での主血が多い例です。
しかし」
「純花には相変わらずそれがないわけですね」
私の問い掛けに村田医師は、大きく頷いた。
「純花さんの脳は至って正常そのものです。
定期的に検査していますが、出血もありませんし、脳波も正常です」
「原因が不明…」
「その通りです。
脳に異常があるほうが治療に見通しが付くのですが、原因が分からなければ治療の方法が漠然とし過ぎています」
「精神的なストレスが蓄積したと言うことは考えられませんか?」
黙り俯いていた母が不意に口を開いた。
「何か心辺りでも?」
母の質問に村田医師は訝るように尋ねた。
「いいえ、例えばの話です」
「可能性としては低いですね。
仮にストレスが蓄積していたとしても、うつ病かパニック障害など別の症状を起こすはずです」
一層空気が重くなった気がした。
「気長に見守りましょう」
村田医師はそう言った。
私にはひどく無責任に聞こえた。
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