人物

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大学時代に友人の父親にまつわる事件(『グロリア・スコット号事件』)を解決したことで、探偵業を志すようになり、大学卒業後に大英博物館近くのモンタギュー街で開業した。1881年(が有力とされている)、ベーカー街に引っ越す際に、スタンフォードの紹介でルームシェアの相手としてワトソンと初めて出会う。このとき、ホームズはその風采を見ただけでアフガニスタン(アフガン戦争)帰りだと見抜き、ワトソンを驚かせた。さらに、相手の用件も聞かずに、自ら確立したばかりの新しい血液検出法について熱心に語り出したことでもワトソンを驚かせた(『緋色の研究』)。 ワトソンと共にベーカー街の下宿で共同生活を始めた頃から名声が高まり、海外からも事件解決の依頼が寄せられるようになった。1891年に犯罪組織の頭目であるジェームズ・モリアーティ教授との対決(『最後の事件』)で、モリアーティ教授と共にスイスのライヘンバッハ滝にて失踪。モリアーティ教授と滝壺に落ちて死亡したと思われた。だが、落ちたのはモリアーティだけであったと後に判る(『空き家の冒険』)。ホームズは生きていたが、モリアーティ一味の残党から逃れるために姿を消していたと答えている。日本を発祥とする東洋武術のバリツを体得しているという設定があり、このバリツのおかげでモリアーティ教授との戦いから生き永らえたという(『空き家の冒険』)。
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