久家

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永禄12年(1569年)12月、吉川元春は、毛利輝元が本隊に先行して石見国に入り、福光城に拠点を置いた。 福光城は、日本海の海浜に近く、陸海双方にとっての要地で、城主は同族の吉川経安である。 吉川氏は、本家が安芸国内に在り、これは、毛利家から吉川家へ養子に入った元春が、当時本家の当主であった吉川興経を強引に隠居させて跡を継いでいた。 まるで、鶯の巣に卵を生み付け、巣を乗っ取るという、郭公の託卵のような政策である。 つまり吉川元春は、吉川経安にとって本家の頭領に当たる。 元春としては、陸路よりも大量に兵糧や消耗品を運搬できる海路に近い福光城は、後方拠点として都合が良いのだ。 しかも城主の吉川経安は、領内の経済振興を成し遂げ、元就から石見銀山の管理を任される等、行政手腕に優れた人物で、後方参謀役に適任なのだ。 そこで元春は、福光城を出雲国攻めの拠点に選んだのである。 元春は、領内各地に陣触れを発して兵を集め、大量の物資を搬入した。
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