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『よっしゃあ!詩織!金魚!…そろそろ《春フェス》の会場に向かうか!』
…そう秋良さんが大声で言ったのは、午前11時48分。
アンナさんのマンションから、会場である嘉久見大通りまでは、車で約30分。
鈴ちゃんには詩織から《会場に、午後1時の20分前ぐらいには着くように行くね》と伝えてあるから…今からマンションの地下駐車場まで下りて…車に乗って…って考えても十分間に合いそう。
『秋良くん、3分だけ待って』
アンナさんは詩織を呼んだ。
『詩織、あっち向いて。やっぱり後ろ髪を纏めましょう』
『あ、はーい』
アンナさんは詩織の後ろ髪を両手で掻き集め、オレンジ色の髪ゴムで束ねる。そしてそれを覆い隠すように、その上から赤いバンダナで包み込み、ぎゅっと力強く縛った。
『…じゃあアンナさん、ナオさん、頑張って行ってきまーす』
『うん。行ってらっしゃい』
『頑張ってね!』
《春フェス》の会場へと向かう秋良さんの車の中…。
『ねぇ金魚、去年の《プレデビュー》の日のこと…まだ覚えてる?』
『えっ?あー…うん。覚えてるけど…?』
それは去年の11月の第1週土曜日。瀬ヶ池のすぐ近くの天郷大通りで、僕は女装姿での初めての街歩き…《プレデビュー》をしたんだ。
『あの時の金魚、最初すっごく緊張してたよねー』
『あ…うん』
『《僕、車から出られないよ。無理かもぉ》って。緊張しまくりで。きゃはは』
『つか詩織、何で急にそんな話…』
『でも、あなたは勇気を振り絞って天郷大通りに立った。いつか瀬ヶ池で一番有名な女の子に…《瀬ヶ池のカリスマ》と認められる女の子になるんだ…って。ね』
僕は隣に座る詩織を見た。…いつもより凄く優しい目をしてる。
『ほんとに私達…よくここまで頑張ってきたよね』
思い起こせば確かに。けどそれは、詩織がパートナーでいてくれたから。もし僕が…金魚が一人だけだったら、今頃は…。
『…てゆうか緊張してる?』
『ううん。あんまり…』
『あんまり緊張してないの!?良かったぁ。でも、びっくりするほど女の子いっぱいだよ!』
けど僕は、もうこの金魚の姿で女の子らに見られることはすっかり慣れてるし。今更、たとえ1000人の女の子が集まっていたとしても…。
『もうすぐね。やっとあなたは本物の《瀬ヶ池のカリスマ》って言われる女の子になれる…』
詩織…なんだか少し嬉しそうだ。
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