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袁紹が馬を歩かせながら、自分の陣営に引き返してゆく。
公孫サンが急いで追いついて、お見苦しいところを見せた、と苦笑った。
「張飛は、腕は立つのだが、暴れ者でな。袁紹殿に粗相を仕出かすのではないかと肝が冷えたわ」
「ほう。張飛が暴れ者、とな」
袁紹は、横目で公孫サンを見て、呆れる。
あれは、わざとだ。
張飛という人間はたしかに暴れ者かもしれないが、自分に対して反抗的な態度を取ったのは、あの劉備という男の指示にちがいない。
張飛は自分の存在を示すために、わざわざ袁紹の馬の前に立ち、睨んだ。
数の少ない劉備軍を、盟主となろうとしている袁紹に見せつけるためだ。
その証拠にあれだけ怒っていた張飛が、劉備の姿を見て別人のようになっていた。
張飛の茫洋(ボウヨウ)とした眼差しは、事態の顛末(テンマツ)を知っているかのようでもあった。
劉備は部下の非礼を詫(ワ)び、しっかりと名乗り、袁紹と面識を持つ。
最初から、そういう仕込みだったのだろう。
だが、この様子から見るに、公孫サンはその仕込みに加わっていないらしい。
劉備も、公孫サンに阿(オモネ)るつもりはないのだろう。
公孫サンに頼るならば、きちんと書簡を認めることもできたはずだ。
となると、袁紹が公孫サンの陣営を視察する、という情報を得てからほんのわずかの間に、今の仕込みを調えたことになる。
そうだとすれば、なかなか油断ならない。
「劉備か。顔良、調べさせておけ」
「はい。劉備だけ、ですか?」
「張飛は、いい。欲しいと思わなかった」
顔良が少し残念がる。
部下に欲しいと思っていたのだろうか。
野蛮な風貌(フウボウ)だから欲しくない、というのもあるが、なによりあの茫洋とした眼が気に食わなかった。
劉備のはかりかねる眼も、嫌いだ。
部下に置きたいわけではないが、情報を握って損はないだろう。
いずれ、利用できるかもしれない。
「ところで白馬将軍。良い箏師が手に入ったのだが、一曲聴いていくか?」
「いや、ごめんだ。箏曲はよくわからない」
野蛮人め、と睨む。
公孫サンが大口を開けて笑う様に愛想笑いを返したが、心の中で蔑(ベッ)した。
野蛮な者とともに天を戴(イタダ)く必要が、どこにあるのだ、と袁紹は思った。
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