来る夏

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手を叩く。 顔良が、入ってくる。 虎牢関の様子を報告させた。 兵糧は逐次虎牢関へ運び込まれているらしく、妨害に出した者はすべて捕まって首を刎ねられている。 逃げ帰った者の報告によると、輸送隊を守る数十名が、強い。 皆一様に黒い鎧を身にまとっているとのことだった。 兵糧の欠乏は望めそうにない。 長期戦は、兵糧と士気が重要だった。 兵の練度も、それなりに重要ではあるが、なにより食糧だ。 兵も、腹を空かせる。 腹が減ると、屈強な精兵でも、平然と逃げ出したりする。   諸侯の報告も同じく耳に入れる。 孫堅が、不気味なことをしているようだ。 実戦さながらの苛烈な調練を、夜を徹して続けているという。 その場でする訓練に、あまり意味はない、と袁紹は思っている。 むしろ兵が疲弊(ヒヘイ)するだけだった。 現場ですべきなのは、陣形の確認だ。 これは血眼になって徹底して良い。 兵よりも指揮官が気を払うことだろう。 兵は前だけを向かせれば良いのだ。 だから調練自体は躰を鈍らせない程度のもので良い。 調練を厳しくすると、嘆かわしいことだが、兵が逃げ出したりもする。 孫堅の狙いが、見えない。 ただ単に訓練が足りなかったのだろうか。 ふつう調練はしっかりと自領で行ってから、戦場に出る。 数に恃める連合軍でも、それは変わらないはずだ。 曹操もたった五千だが陳留で鍛えた兵を連れてきているし、他の者も同じく調練した兵を連れているだろう。 袁紹も、麾下だけは精強と言える兵に育て上げてから、酸棗に布陣した。 孫堅の兵は訓練の足りない弱輩ばかりなのか。 いや、そうではないだろう。 シ水関で華雄を打ち破った時など、目を見張るような強さだった。 では、なぜ。 兵を痛めつけるような過酷な調練を与えて、どうするのだ。 袁紹にはいまいち理解しがたいものがあった。 済水のほとりに陣取った時は、このような過激な調練ではなかった。 あの時は先鋒を名乗り出るために張り切っている、という印象しか受けなかった。 実際、孫堅にもそれ以上の意味はない調練だっただろう。 兵を殺すような過酷さは、なかったのだ。 いまも孫堅は調練に励んでいるようだ。 兵の喊声が、絶えることがない。 シ水関での戦功を取り返したいのだろう、と思っていた。 しかし、苛烈だった。 誰の目から見ても苛烈なのだ。 それ以上の意味があると思わざるを得ない。 それ以上の意味がないと、あのような緊張は生み出せない。
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