524人が本棚に入れています
本棚に追加
手を叩く。
顔良が、入ってくる。
虎牢関の様子を報告させた。
兵糧は逐次虎牢関へ運び込まれているらしく、妨害に出した者はすべて捕まって首を刎ねられている。
逃げ帰った者の報告によると、輸送隊を守る数十名が、強い。
皆一様に黒い鎧を身にまとっているとのことだった。
兵糧の欠乏は望めそうにない。
長期戦は、兵糧と士気が重要だった。
兵の練度も、それなりに重要ではあるが、なにより食糧だ。
兵も、腹を空かせる。
腹が減ると、屈強な精兵でも、平然と逃げ出したりする。
諸侯の報告も同じく耳に入れる。
孫堅が、不気味なことをしているようだ。
実戦さながらの苛烈な調練を、夜を徹して続けているという。
その場でする訓練に、あまり意味はない、と袁紹は思っている。
むしろ兵が疲弊(ヒヘイ)するだけだった。
現場ですべきなのは、陣形の確認だ。
これは血眼になって徹底して良い。
兵よりも指揮官が気を払うことだろう。
兵は前だけを向かせれば良いのだ。
だから調練自体は躰を鈍らせない程度のもので良い。
調練を厳しくすると、嘆かわしいことだが、兵が逃げ出したりもする。
孫堅の狙いが、見えない。
ただ単に訓練が足りなかったのだろうか。
ふつう調練はしっかりと自領で行ってから、戦場に出る。
数に恃める連合軍でも、それは変わらないはずだ。
曹操もたった五千だが陳留で鍛えた兵を連れてきているし、他の者も同じく調練した兵を連れているだろう。
袁紹も、麾下だけは精強と言える兵に育て上げてから、酸棗に布陣した。
孫堅の兵は訓練の足りない弱輩ばかりなのか。
いや、そうではないだろう。
シ水関で華雄を打ち破った時など、目を見張るような強さだった。
では、なぜ。
兵を痛めつけるような過酷な調練を与えて、どうするのだ。
袁紹にはいまいち理解しがたいものがあった。
済水のほとりに陣取った時は、このような過激な調練ではなかった。
あの時は先鋒を名乗り出るために張り切っている、という印象しか受けなかった。
実際、孫堅にもそれ以上の意味はない調練だっただろう。
兵を殺すような過酷さは、なかったのだ。
いまも孫堅は調練に励んでいるようだ。
兵の喊声が、絶えることがない。
シ水関での戦功を取り返したいのだろう、と思っていた。
しかし、苛烈だった。
誰の目から見ても苛烈なのだ。
それ以上の意味があると思わざるを得ない。
それ以上の意味がないと、あのような緊張は生み出せない。
最初のコメントを投稿しよう!