来る夏

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先日、あまりにも顔良がうるさいので、調練を見に行った。 背筋に寒気が走ったのを、覚えている。 内臓を凍った手でわし掴みにされたような気がした。 まともに見ているのが辛いのだ。 孫堅は遅れる兵を鞭ち殺すことも平気で行っていた。 袁紹の目から見れば、動きは凄まじく良い。 三つの部隊が一瞬で十に分かれ、それが瞬きの間に四つにまとまっている。 退却の陣形も研究されていて、殿(シンガリ)の動きは参考にしたくてもできないものだった。 殿となった歩兵と、追撃をかける歩兵。 その調練で数が減っているのは、追撃の兵だった。 最初、袁紹にはなにが起こっているのかわからなかった。 顔良が説明するには、殿の兵は後ろに下がりながら剣を払い、その後ろからすぐさま別の歩兵が躍り出て敵を斬り払い、また下がる、ということを繰り返すのだという。 言葉で説明することと実際にやることは、雲泥(ウンデイ)の差がある。 説明されても、袁紹は開いた口がふさがらない、という感じだった。 その常軌(ジョウキ)を逸した訓練についてこられない者は、鞭ち殺される。 もはや、野蛮などを通り越えていた。 それでも逃げ出す兵はほとんどいないという。 逃げ出すどころか、兵ひとりひとりの頬が削げ、目の力が強くなっている。 死を臨んだ兵のみが持つ気配を、孫堅軍二万の兵すべてが持っている。 不屈の魂(ココロ)。 その力の源は、わからない。 袁術の不手際とは言え、孫堅は一度華雄に打ち破られている。 まだ、戦の前線に立てると考えているのか。 まともな思考ができる者なら、後方支援に回されると思って気落ちするところなのだ。 鮑信が、そうだった。 孫堅は後陣に回される、という噂も連合軍のなかで広まっている。 それでもなお、死の調練を繰り返す。 それが不気味でならない。 孫堅はどこかほかの者とちがう。 袁紹の目にも、注視すべき者が見え始めていた。
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