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戦乱。
宦官や一部の権力者以外の誰もがそう感じたのは、太平道という宗教組織が各地で一斉に蜂起した時だった。
信徒を三十六の方(ホウ)という教区に分け、教祖の張角(チョウカク)がその方に檄文を飛ばすことで、同時蜂起を可能にした。
宦官たちはただの反乱としか見ていないが、実力者はそうとは見ていない。
後漢朝廷の力は失墜したのだ。
太平道は後漢に取って代わり国となろうとしていた。
だから同時蜂起という馬鹿げた所業を可能にした。
民は、もはや朝廷の存在を認めてはいない。
戦乱だった。
戦火は広がり続けた。
太平道の信者は皆一様に黄色い頭巾を被ったことから、黄巾党と呼ばれた。
見かねた朝廷は官軍を派遣した。
左右中郎将(サユウチュウロウジョウ)である皇甫嵩(コウホスウ)と朱儁(シュシュン)を大将に、各地で迎撃と殲滅を命じる。
その中にはまだ若い曹操(ソウソウ)、孫堅(ソンケン)、劉備(リュウビ)の姿があった。
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