来る夏

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厩は暗かった。 日中はわざと暗くし、夜は火を焚く。 馬の視力はあまり良くないので、明るさを一定に保っているのだ。 ほかの馬たちの厩と離れて、赤兎の厩があった。 暗がりのなかで、赤兎は佇んでいた。 その躰の赤が、熾(オキ)のようなのだ。 呂布がいると気付くと、尾を揺らす。 そよ風に靡くようで、弱々しい。 内臓を弱めているというよりも、心を弱めている。 赤兎は気高かった。 気高いほど、孤独だった。 「内臓に良い飼葉を用意していますが、あまり口にしません。水も、飲みたくない、という感じです」 姜下が言って、餌の飼葉が積まれているところを指した。 赤兎は、円らな瞳をしている。 すべてを見透かすような瞳だった。 呂布は赤兎に寄り、首筋に手を触れた。 熱い。 熱い血潮を感じた。 「赤兎は、孤高だと思います。呂布様にしか、心を許していません」 姜下が言って、水を入れ替える。 孤高。 そういう言葉が、ふさわしい。 どうして孤高になるのか。 なぜ、ほかの馬や人に心を許さないのか。 なんとなくわかる気がした。 どこかに赤兎に似たものを、感じていた。 自分を慕う者にも、誰にも、心を許さない。 姜下にも、呂布は隙を見せていなかった。 呂布が掌に水を掬って、赤兎に与えてやる。 舌が掌を這った。 水を飲めないわけではないのだ。 飲みたくないだけだ。 雷雅のいない呂布。 赤兎は、孤高に立って、苦しんでいる。 力を揮う場所を得られないまま、悩む。 以前の呂布そのままだった。 「赤兎。少し、駈けるか」 姜下が止めた。 内臓が弱っているのだ。 躰も、気だるいはずだった。 糞の調子を見れば、わかる。 それでも、呂布が鬣を撫でると、嘶いた。 蹄を鳴らして、駈けたい、と鬣を震わせる。 姜下も、それ以上止めようとしなかった。 じっと赤兎の目を見つめる。 強い眼差しで見返してくる。 すべてを見透かす瞳。 駈けたい、と言っているようだった。 だから、駈けようと語りかけた。 赤兎は嘶いて、肯んじた。 城内でいつまでも素振りを続けていた自分によく似ていた。 力をどこかで発散させたほうが良い。 厩で落ち込むから、内臓も弱くなる。 駈けているうちに、以前の赤兎に戻るだろう。 気付けば、姜下が手綱と鐙を持って、そこに佇んでいた。 無言のまま、赤兎に備えて、厩を出た。
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