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人は寂しい時に嘘をつく事を嘘つきの私は誰よりもよく知っている
そっと右目だけを開くと
嘘つきが全員右側に集まった。
「大丈夫、必ず助かるわ」
「死んだりしない、平気だよ」
最愛の母や夫が嘘をつく。
硬目の白いベッドの上で
片目で白い天井を見ながら
片隅の黒いピアノと一緒に
願いや祈りという名の嘘を
私はもう2時間も聞いてる。
人間なんて生まれつき嘘つき。
私が初めてついたモノクロの嘘は
生後39日目の土曜の午後。
自宅でピアノ教室を営む母の
こどものためのバイエルが
耳障りな午後だった。
水曜と土曜は大嫌い。
大好きなママとの時間が
よその子供達に奪われるから。
ただ泣きたい時、赤い私は
いつも ラの音で泣くのに
あの時私は ラの♯で泣いた。
お腹がすいた時の泣き声に
ママは急いで駆け寄って
哺乳瓶を差し出してくれた。
だけど私は一口も飲まない。
ただ寂しかっただけだから。
翌週の水曜日、赤い私は
2度目の嘘をついた。
おしっこをした時の ソの♭で
泣く私にママは飛んできて
白いおむつを脱がしてくれた。
だけど一滴も漏らしてない。
ただ寂しかっただけだから。
3歳の冬は毎晩嘘をついた。
凍えるフリのトレモロでママを呼んだ。
ただ寂しかっただけなのに。
私を優しく抱いて6拍ごとに
右肩をそっと叩いてくれると
安心してすぐに眠れた。
5歳の秋の水曜日、初めて私は
ピアノのお稽古を休んだ。
右腕が痛いと嘘をついて。
よその子には優しくて
私だけに厳しく教えるのが
ただ寂しかっただけなのに。
それでもママは嘘をつく私を
6拍ごとに小さな鐘をつく
メトロノームのように見守った。
23歳の大失恋した私がラの♯で
泣いてた時、「お腹すいた?」
と言って差し出してくれた
特製のミルクレープの優しい味が
二枚舌に焼き付いて離れない。
その3日後に出逢った夫には
初対面のその日に嘘をついた。
「貴方ド真ン中のストライクよ」
ただ寂しかっただけなのに。
翌年の結婚式では牧師さんの
前で二度目の嘘をついた。
永きに渡り貴方を愛す… と。
「ずっとそばにいるわ」
私はようやく振り絞った シの♭で
最愛の人達に最期の嘘をついた。
白い天井が白い布で見えなくなり
ショパンのピアノソナタ第2番「葬送」が
スローテンポで右耳に流れてきた。
私の魂は彷徨ってる。
母が初めての発表会と同じ色の
白い衣装を着せてくれた。
すすり泣く母の、泣き喚く夫の
声の隙間にお経の声と6拍ごとの
小さな鐘の音が聞こえた。
私は安心して本当に永眠った。
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