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土方 歳三(1835~1869)享年:35歳
武蔵国多摩郡石田村(現在の東京都日野市石田)の生まれ。
10人兄弟の末っ子。土方家はお大尽とよばれる大百姓の家系だった。
生まれたとき、父は労咳ですでに亡くなっている。
後に、同病気で姉と母を亡くしている。
信憑性は多少疑われるものの、数えで11と17の際に奉公先で喧嘩や妊娠騒ぎを起こし日野に戻ったという話がある。
人別帳によると14~24の10年間奉公に出ていたと考えられる。
実家秘伝の「石田散薬」を行商しながら各地の道場で修業を積んだ。
この頃天然理心流の近藤勇と出会い、安政6年(1895)に正式入門?
行商中の様々な流派のクセが取れなかったのか、中極意目録まで。
文永三年(1863)浪士組に参加、後に新撰組副長となる。
後の総長山南敬助とは対立があったとも仲が良かったともされる。
「梅の花 一輪咲いても 梅は梅」などの和歌を「木曾八景」歌集「豊玉発句集」として残すなど和歌や俳諧を嗜む風流人の面もあった。
合理主義者で便利なものは便利と受け取る柔軟さをもっていた。
舶来品の懐中時計などももっていたという。
長身、色白で引き締まった顔立ちをしていた。「身丈五尺五寸(168.5)眉目清秀にてなる美男子たり」
「土方の如きは役者とでもいいたい位の男然たる風貌であった」など。
函館総攻撃の際馬上で指揮を取っていたが、腹部に銃弾が貫き落馬、絶命。
明治二年(1869) 五月十一日 函館にて戦死
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