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沖田総司 (18??~1865)
流派:天然理心流 (北辰一刀流 免許皆伝)
年齢(文久三年):およそ22歳
辞世の句:動かねば 闇にへだつや 花と水
享年:沖田家累卑代墓碑…24歳
沖田家文書…25歳
両雄士伝・上洛時の年齢から計算…27歳 の三説
冗談を言っては笑っていた陽気な人物だった。屯所界隈の子供とよく遊んでいたらしい。
新撰組に敵対する人物以外にはとても好意的な人物だった。
剣術の指導をした際には荒っぽくすぐに怒ると、隊士からは恐れられていた。
沖田の剣術は近藤そっくりで、細い甲高い掛け声まで似ていた。
太刀先がやや下がり気味で前のめりの構えだった。
剣術は新撰組一で、永倉は
「土方、井上、藤堂、山南が竹刀を持っては子ども扱いされた。
おそらく本気で立ち会ったら師匠の近藤もやられるだろう」と語った。
恐らく多少は言い過ぎではあろうが、それほど沖田の剣術が凄まじかったのだろうか。
容姿に関しては写真や肖像画は残っていない。
記述としては「ヒラメ顔で笑うと愛嬌があり色黒」「猫背」「長身」というものが残っている。
ただし沖田哲也はこれを否定していて、沖田家では「色の白い、小さい男」と伝わっているという。
死の際には、黒猫を斬ることもできない自分の衰えを痛感し、付き添いの老婆に「あぁ、斬れない。婆さん、俺はもう斬れないよ」と嘆いたという。(ただしこれは創作の可能性が高い)
甲陽鎮撫隊出陣の際、療養中の自分を見舞った近藤に、心配をかけないようにと四股を踏んだのだという。
この時、普段明るい沖田は声をあげて泣いたのだそうだ。
没年から逆算すると、1860年頃から労咳を患っていたと考えられる
慶応4年(1865) 5月30日 労咳を患い病死
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