○第一章 八王子のレストラン

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 二〇〇八年十月、八王子のレストラン。  わたしは戸川ゆきえと向き合って食事をしていた。それは入り口から階段を降りて地下に降りて行くレストランで普通にカウンターやテーブルがあるだけでなく、狭い個室もあるちょっと隠れ家的な雰囲気のする洒落たところだった。  もちろん、わたしとゆきえは単なる仕事仲間であって昼休みに一緒に食事をしていただけである。  確かその時、わたしはから揚げ定食を、ゆきえはマグロ丼を食べていた筈だ。 「そう言えばね、川口さん。二階の藤木さんだけど、この前パソコンの設定でお世話になったってとても感謝していましたよ」  ゆきえは三十代に入ったばかりの独身女性。何でも同棲中の彼氏は十才年上だという。真ん丸い眼鏡のレンズ越しに見える彼女の人なつっこそうな瞳からも彼女の気さくな性格を見出せるものだ。 「感謝って言ってもねぇ」  わたしは普通に謙遜して見せた。確かにわたしはその二ヶ月前に唯華の席のパソコンの設定をやっていた。オートCADやフォトショップといったソフトのインストール、そしてインターネットやEメールやプリンターの設定などごく簡単な設定を…。  しかしながら、実のところ「藤木」と聞いてちょっとウンザリした気分になった。    藤木唯華というその女性は一ヶ月前からわたしの通勤路を何故か同じ時間に歩くようになっていたからだった。  ここ二週間は八王子の取引先にゆきえと出向していたのだが、それ以前は本来の職場である我が社の中野本社へ通っていた。  わたしは最短距離を通って通勤する他の社員と違ってJRの中野駅から少し回り道をして早稲田通り近くの会社まで通勤していた。朝っぱらから同じ会社の社員たちと会って話をするのが少し億劫だったからだ。    ところがその藤木唯華という女性は何故かそのわたしの通勤路と同じ道を通って通勤するようになっていた。しかも、ほぼ同じ時間に通勤するので否応なしに毎朝顔を合わせてしまう。まるで故意にわたしと合わせてきたようにも思えてくる。  唯華は同じ会社に勤める二十八歳の女性である。出身ははっきりとは覚えていないが東北のどこかだった筈だ。身長は一メートル六十くらいで痩せぎす。大人しい感じで色白のちょっとしたいい女であった。普通の男性ならむしろ喜んだに違いない。
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