○第一章 八王子のレストラン

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 ところがわたしとしてはそれがうっとうしく思えてならなかった。わたしは今年三十八歳になる独身の中年男なのだが、四年前に父が胃癌で他界して以来、女とか恋愛とかそういう意欲が全くと言っていいほど無くなってしまっていた。  今まで恋愛は人並みにいくつか経験してきたし、最終的に結婚して家庭を持たなくてもそれはそれでいいような気がする。残りの人生、今年七十になる母の面倒を看ながらのんびりと気ままに生きていければいい。わたしは人生の守りの体制に入ったのだ。  加えてわたしの会社における地位や財力などを考えると今、家庭を持つのは得策だとは思われなかった。わたしはCADによる製図がメイン業務であるこの会社に四年前に入社した中途採用者だった。正社員ではなく一年毎に契約を更新する契約社員でシステム部門担当だった。    ある特定の取引先相手にエクセルやアクセスのツールを作って若干の売り上げを上げているに過ぎなかった。残業も少なく、ゆえに給料もそこそこであった。メインの業務から外れているのでいつこの会社を追い出されてもおかしくはなかった。  もっとも、この会社はそれほど厳しい会社ではなさそうだから、何かが起るとすれば三歳年下の主任の菊池に見切りをつけられて遠い場所へ左遷されるといったところだろう。    とにかく、もしも仮にわたしが唯華と結ばれたとしてもその後が大変なことは容易に想像が出来る。何度か考えてみたが、ここは変な気を起こさないのが得策だと思われた。    だからこそ、こうして毎日目の前をちらつかれては困る。とんでもないブスだったらまだ良かったのだが、なかなかのいい女なのでどうも落ち着かない。 「その藤木さんったら、この八王子の仕事を手伝いたいって言っているのよ」  わたしがぼうっと考えていたら、ゆきえは話を続けていた。 「そうなったら助かると思わない?」 「まあ、それは結構なことだけど」  とは言ってはみたものの、あんまり実現して欲しくないように思われた。
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