第一章

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『鈴鹿、ほら戻っておいで。』 ―悪路王…だ。 『鈴鹿。鈴鹿御前!』 ―嫌だ!呼ばないでくれ。 『共にゆこうぞ。人間の世の転覆を。今こそ果たそうではないか。』 ―そんな事、望まない。 『ならば…我が血肉になれ。鬼姫よ。』 ―鬼姫でも。嫌だ。 『…裏切り者の鬼の姫。何故に、人間に加担する。』 ―人間として、生きていきたいから。 『幾度、人間の腹に宿り、紛れても。その信念は変わらぬか。』 ―信念…違う。約束だからだ。 何を捨てても、人間として生きる。 ―そう約束した。 『…忌々しい人間ぞ。』 ―約束した…?誰と? 『それ程までに、たかが人間ごときの言葉に縛られるか。』 ―縛られる?違う。それは自ら望み、選んだ道。 『呪わしや。坂上田村麻呂。』 誰? ‘さかのうえのたむらまろ’? たむらまろ…?田村麻呂…    坂上田村麻呂! 『鈴鹿、人間(人)として、俺と来るか?』 『鈴鹿。花の姫よ。愛しい妻よ。』 ―ああ、そうだ。 ―あの人が居たから、花の姫で居られた。 ―人間としての幸せを知り、手に掴めた。 ―だから…    何を捨てても。    鬼を捨てても。 ―人間として生きる事を約束出来た。 ―例え滅せぬ鬼の魂魄でも、何度も、何度でも。 人間として、生きる為に。 ―繰り返される蘇生の中で、人間の腹に宿り・紛れて自らの鬼を、封じてきた。 ―愛しい人。妾が夫。 「田村麻呂…」     夢か現か。 呟けば、うつ伏せに寝せられた布団が、涙に濡れる。 どうして今になって、何もかもを思い出すのか。 思い出せば、苦しい。と、分かっていたのに…あの人は、もう居ない。そう分かっていたのに。 「…ふっ…く…」 漏れる鈴鹿の嗚咽に、憐れむ女達の声。 『姫…』 『御前…』 泣かないで。願っても、鈴鹿の涙にどうする事も、出来はしない。 …心まで、触れられはしない。
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