鉄棺

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 考えてみればありえない話である。何も見えないとはいえ、私はビルが停電になってからほとんど一歩もその場を動いていないのだ。いくらなんでも、エレベーターの中に閉じ込められたはずの私がその一瞬後に別の場所へ移動している、などというSFじみた現象など、起こりうるはずがない。しかし、この何の変化もない空間で、次第に感覚が鈍くなっていた私にとって、一瞬でも感じた不安はすぐさま冷静な判断を吹き飛ばすほどの恐怖へ成長した。ありえない悪夢と怪物を妄想してしまい恐ろしくなった私は、慌てて己の踏み締める床を何度も踵で蹴りつけその存在を確認した。それでも足りず壁に背中を押し付けてその感触にすがり、左右の手で周囲を探る。左手は空を切ったが、右手が傍らの壁を探り当てた。掌に伝わってくる壁の冷たさが束の間の安堵をもたらした。やはりここはエレベーターの中なのだ。だとすれば、このまま電気の復旧を待つか、自分から救援を求めて外部と連絡を取るしかない。  無駄とは知りつつ、管理センターへ繋がるボタンを探して、私は右手の壁にとりついた。このまま右手を壁に添えて数歩ゆけば、階数を指示するボタンのすぐ近くに緊急連絡用のブザーとインターホンがあるはずだ。普段そんなものを注意して見ることはないので本当にあるかどうかは不安だが、それ以上に問題なのはそれがこの停電で使えるのかということだった。押したところでまた暗闇の中に絶望が一つ増えるだけなのだろうが、このまま私がこの場所から動かなければ動かなかったで、また恐怖が襲いかかってくるような気がして気が気ではない。不安はいくらでもある。電気の復旧し、エレベーターが動き出すのはいつになるのか、閉鎖されているはずのこの空間で息は続くのか。しかし、そんな疑問も、人類が誕生した原初から存在するのだろう暗闇への恐怖に比べればまだかわいらしいと感じられた。
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