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「何故こんなことをしたんだ。お前には良心がないのか」
激しい口調で迫る善一に対し、男は冷静とも言えない、ごく当たり前な事のように返した。
「何でって。あの人が無理矢理ティッシュを渡そうとしたんだもの。だったらいつもポケットに入れてるナイフで刺すのが妥当でしょう?」
あまりにも真顔で、そして素直に語る男に、善一は呆れるよりも空しさを感じた。
「だってそんなにティッシュいらないし、その日はたまたまティッシュがポケットにたくさんあったからね。だから刺したの。ね、凄く道理的でしょう。だから早く家に返して下さいよ。見たいテレビがあるんです」
「ふざけるな!」
善一は防音の取調室を壊すかのように声を張り上げた。元来頑固な性格であるため、自分の道徳に合わないことは蹴散らしたくなるのだ。しかし今回のそれは、遥かに異質なものだった。
「貴様には人としての感情がないのか。どれだけ悲しむ人がいると思っているんだ」
「もう、そんなに怒らないで下さいよ。さっきからごめんなさいって言ってるじゃないですか」
さながら友人と呑みに来たといった風に、ヘラヘラと笑いながら男は言う。
何もかもがズレている。段々と自分が間違っているのではないかという錯覚すら覚える話し方に、善一は荒い息を整えるのが精一杯だった。
「もう良い。連れていけ」
横にいた新米の刑事に言うと、善一は静かに椅子に座り頭を抱えた。
「今日だけ何件目だ。今の時代はどうなっているんだ…」
いまだに何故自分が逮捕されたかも理解していない男は、部屋を出る間際に軽い声で話しかけた。
「ねぇねぇ刑事さん、僕が刺したティッシュ配りの人は元気?」
一瞬善一は怒鳴ろうかと思うと顔を上げたが、すぐに無駄骨だと気付き頭を抱え直して言った。
「死んだよ。即死だ。胸と頭を30箇所以上刺されて無事な訳がないだろうが」
「そっかぁ、残念だったなぁ。また今度ティッシュもらおうと思ったのに」
新米の刑事に腕を引かれながら、男は笑いながら去っていった。
二つの足跡も遠くなり、静かな部屋で善一は深い溜め息をついた。
「狂ってる」
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