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1ヵ月前の高校の卒業式の日、あいつは初めて自発的に俺に話しかけてきた。
CDはその時にあいつからもらったものだ。
このCDを俺に渡す時、あいつはいつになく強く、か細い声に力を込めて、言った。
“独りのときに聴いて”
理由は教えてくれなかったが、俺はその条件に頷いた。だから今から聴く。別に家で聴いてもよかったのだけど、長い旅路の道連れに取っておいたのだ。
CDは100円ショップに売っていそうな市販品だ。ケースは安っぽい透明のもの。
そして、厚紙で作られた手作りのジャケット。白い正方形の真ん中にぽつんと1つ、デフォルメされたフェンダー・ジャズマスターの絵が描いてある。
俺は絵の上手さと可愛らしさに驚いた。しかし、何でこんなに寂しいジャケットなんだ、と不思議な気持ちにもなった。
どういうつもりであいつはこんなものを作り、俺に寄越したんだろう。再生した瞬間にあいつの声が再生され始めて、あいつの隠された思いが紡ぎだされるとでも言うのか。そんなことはないだろう。あいつはそんなことは好きそうじゃない。
あいつが好きだったのは、幾重にも重なったざらざらした音のギター、温かい世界を漂うような幻想、囁くような歌声。靴を見つめる者、シューゲイザーと呼ばれる音楽だ。
酷く内向的な世界だ。俯いて、音の層に身を包み、それに恍惚とするような。音像を限りなくぼやけさせたノイズの海に1人漂って、重力を忘れるような。そんな世界だ。
あいつはそんな世界を愛した。だからきっと、明るい青春ドラマの真似はしないだろう。例えあいつが、俺に押されて足を踏み出したとしても。
俺はケースを開け、CDを取り出す。
ジャケットの裏には、5つの曲名が記されている。英語表記が3曲、日本語表記が2曲。作詞・作曲者のところには、ローマ字で"Keiko Suzusawa"と名前が刻まれている。
「鈴沢……」
あいつは俺に、自作のCDを寄越したということか。
狙いはやはり分からない。何だってあいつは自作の曲を俺に聴かせようというんだ。なぜ独りのときでなければいけないんだ。だいたい、いつ作曲なんてしたんだ。
そんな俺の疑問をあざ笑うように、CDは俺の手元で、窓から差し込む日の光を跳ね返していた。
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