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「あの時はありがとね」
僕を現実に引き戻す音。何年経ってもやっぱり変わらず透き通る、先輩の声だ。
免許が取れたから――そんな他愛ないデートの口実を素直に受け取ってくれた先輩が、今僕の隣で微笑んでくれている。
僕は、とてもじゃないけど全人類を守り抜けるようなヒーローじゃあないから、あの日から自分に何が出来るのか、自分が何をしたいのかを考えてきた。しかし結局のところ、どんなに格好つけたって、僕は単純な男でしかないのだった。先輩の笑顔の為ならば、僕みたいな卑怯者も、ダサくて自由な男になれる。夏はいいね。開放的だね。
「先輩、今日は何処へ行きますか?」
ほっぺたを膨らませ、浮輪に空気を思い切り吹き込む作業を再開した先輩に、僕は解りきった質問を飛ばす。
「何処って、海に連れてってくれるんでしょ?」
まるでうきうきしているかのような声が、僕の左耳をくすぐった。思わずアクセルを踏み込んだ途端、先輩が女の子みたいな声を出すから余計にテンションがあがる。世間体とかもうどうでもいいや。クソみたいな大人たちが到底知り得ない、もしくは忘れてしまったであろう大切な一瞬を、僕は必死になって脳みそに焼き付ける。
今日も明日も明後日も正義を気取り、貫こう。誰の為でもない、自分の為の正義だ。
「あ、海! 見えてきた」
隣ではしゃぐ先輩を横目に、僕は思う。煌めく青春を、他愛ない毎日を、そして何よりも――
「あれはまさしく海ですね。……眩しすぎる」
大切なひとを、守り通してみせるのさ。
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