第六章『立波草』

15/29
前へ
/105ページ
次へ
何と声を掛ければ良いのか。 ただ、「帰って来て欲しい」そんな在り来たりな言葉では、牡丹の心には響かない。 「…‘穂月’人間の臭いがする」 嫌悪感を露に、敏感な牡丹が不機嫌に目を覚ます。 「何故此処に居る。山崎」 それは…人として接してきた牡丹からは、決して聞くことが無かっただろう口調。 「何故人間が此処に居る。踏み入る事は出来ない筈だ…」 鋭利な視線を向ける牡丹に、白蛇が堂々と言って退けた。 『私が望んで連れてきたんだ。』 その一言に、牡丹は目も口も、呆気に取られたように開いて閉じない。 此処は。神聖な場所の筈だ。自分と、‘穂月’二人だけが存在を許される、大切な場所。 白蛇のした事は、牡丹にとって。それを汚す行為であり、「裏切り」だ。 「私を…裏切るの?貴方まで。私は…」 牡丹の声が震える。 紅い瞳が、ゆらゆら揺れる。 「…私は何度裏切られば良い!?」 声を張り上げて言う牡丹に、山崎は一瞬気圧されながらも、目だけは決して反らさなかった。 『牡丹。私は裏切ったつもりは無い。』 白蛇が言うも、牡丹は聞く耳を持たず。 「帰れ!穢らわしい。人間になど、関わらなければ良かった。帰れ。私の視界に入るな。殺しかねないよ?」 クツクツ。喉を鳴らし言う牡丹。 けれど、刺々しい言葉の中に、山崎は牡丹の心を見た。 牡丹は言ったのだ。 「人間になど、関わらなければ良かった。」と。 …後悔している。けれど、その中に未練が在る。 『牡丹は現実を見るようになったが、それを受け入れようとしない。』 受け入れる事が出来たなら、きっと人の心に触れられる筈なのに。 固く閉ざした鍵を開く事は出来ても、その扉はまだ閉じたままだ。 『やれるかい?』 白蛇の言葉に、山崎は躊躇い無く、頷いて見せた。 「きっと。やれます。」 牡丹にはまだ、捨てきれていない‘もの’がある。 山崎はそれを見据えて。 『だから人間は好きだよ』 諦めない。這い上がる力がある人間が。 白蛇は呟いて、山崎と牡丹を残し、夜陰に消えた。 そして始まる押し問答。 「死にたくなければ、即刻立ち去れ。」 「嫌や。」 「殺されたいのか?これだから人間は…‘命’の重みを知らない。」 明らかに侮蔑した目で見る牡丹。けれど、山崎は怯まない。 「なら牡丹は知っとんか?」
/105ページ

最初のコメントを投稿しよう!

376人が本棚に入れています
本棚に追加