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「あれ? 吉田さんから聞いてませんでしたか?」
私は、頭を左右に振った。吉田さんから? 何も聞いてない。
「でもでも、柏木さん結婚指輪をしてらっしゃいませんよ!」
「指輪はですね……。僕は結婚した時、太っていたんですよ。それで、今付けても、外れてしまうから付けてないんです」
なんてことだ。
優しい言葉を向けられて、少しでも調子に乗っていた自分が恥ずかしい。
私は、耳が赤くなるのを感じた。
「初めまして、月夜美さん。いつも主人がお世話になっております」
「あ、いえ、お世話だなんて……」
次の言葉が思い浮かばない。
「それでは、これで失礼します」
大きく頭を振って、お辞儀をする。奥さんの横をかすめるように、開いたままのドアを目指した。
「今、お茶を出しますから、お待ち下さい」
奥さんの声も。
「月夜美さん依頼の件は……」
柏木さんの言葉を聞いても、私の足は止まらなかった。
かろうじて。
「急ぎの用がありますので、後ほどご連絡します」
と言うのが精一杯だった。
振り返ることさえできず、お二人に失礼だと知りながら、そのまま車に乗り込んだ。
何をしているのだろう。
自分が嫌になる。
憧れるだけの恋心ならまだしも、柏木さんも私が好きかもしれない、なんて--。
とんだ勘違いだ。
やはり憧れは、憧れのままでとどめておけば良かった。
お付き合いできたらどんなに幸せだろう、そんな出すぎた願望を持ったりするから--。
バカみたい。
長い息を吐いた。
そんな時だった。ふと、ある台詞が頭の中をよぎった。
「イケメンはね。みーんな私以外の女と恋に落ちるの……か」
最近読んだ、携帯小説の台詞だった気がする。
本当にそうだと思う。
容姿が素敵な男も、性格が良い男も、そばにいて居心地のいい男も、みんな私以外の女と恋をする。
キーを回して、エンジンをかける。車を走らせた。
「そうだ。後で、お断りのメールをしなきゃね」
加速していく車。
バッグミラーには、柏木さんの玄関が映っているはずだった。
けど、見ないようにして--ハンドルを左に切る。車は大通りを、鳥海大橋を目指して加速した。
--終わり
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