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柏木さんは、廊下の先を手でさした。
「分かりました。では、部屋でお待ち下さい。こちらです」
「いえ。私は、ここで構いません」
「わざわざ足を運んで頂いて、玄関だけというわけには、いきませんよ」
「今日は、原稿を受け取りに来ただけですから」
柏木さんと、部屋でゆっくり話しが出来たらどんなに素敵だろう、と思う。
けど今は仕事で来ているわけだし、何より、このままお言葉に甘えて部屋に行ってしまうのは、フェアでない気がした。
「本当にお構いなく」
「そうですか……。では、原稿を持って来ますので、少々お待ち下さい」
そう言って、廊下の向こうに消えて行く。
少しだけ、後悔していた。
あそこまで、意固地に断らなくても良かったかも。--逆に失礼ではなかったか?
気を悪くさせていなければ良いけど--。
靴箱の上に飾られた、小さな赤い花を見ながら、私は心配をしていた。
柏木さんはすぐに戻って来た。手にはA4サイズの茶封筒を持って。
「お待たせしました。こちらが、約束の原稿です」
差し出された封筒を受け取って、お辞儀をする。
「ありがとうございます」
大切な原稿だ。私は両手で、しっかりと胸に抱えた。
「それでは、私はこれで」
と、口では言いつつ、なかなか足が動かない。
憧れの柏木さんとは、これでお別れ。当たり前の事実が、胸を締めつける。
「帰りは、そのまま進んで、大通りを左へ。看板がありますから、あとは分かりやすいと思いますよ」
「は……はい……」
どうしよう。帰りたくない。
これで別れてしまったら、もう会えないかもしれない、相手--柏木さん。
何か話題を、でも何を--。
「あ、あの……」
「ん? どうかされましたか?」
柏木さんの瞳に覗き込まれて、私の体が固まってしまった。
そんな顔を向けられたら、何も言えなくなってしまう。ずるい。
「そうですね!」
突然柏木さんは、何かを閃いたように、ウンウンと頷いた。
「やっぱり、気になりますか」
「はい……?」
「さっきお話した、人助けの続きですよ」
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