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彼女の脇に手を回す。ぐい、と引き寄せる。冴子が驚いて小さく息を飲んだ。力いっぱい抱きしめる。痣がすぐ口元にあるのがわかって、僕は歯を立てた。腕にも更に力を込める。
痛いのだろう。冴子は身をよじった。しかし、本気では嫌がっていなかった。涙が溢れる。僕は冴子を愛していた。いいや、愛している。今もなお。そうであるからこそ、その痣を見て悔しいのである。
冴子を最初に傷つけるのは僕であるはずであった。その座を奪われて、平気でいられようはずがない。利用だとかペナルティだとか、そのような馬鹿げた話、最初からできるはずもなかった。
僕は、いや、男は弱い生き物だ。心が弱い。肉体の強固さは女性と比にならないほど強い。しかし、そんな強さ、現代社会では何にもならない。力仕事はフォークリフトや台車がしてくれる。強い競争意識も今ではいらない。趣味や嗜好のみならず、食事や生活など、生きることまで経済という競争の中に引きずり込んだ。そうしなければ男の必要性はなくなってしまう。
男は、自分の必要性を確信しなければたちまち不安になる。
冴子が身をよじって、僕に覆いかぶさるような姿勢になった。着衣越しの柔らかさに、いよいよ僕は感極まって、ますます力を込めて冴子を抱きしめた。
彼女の体に僕の作った痣が残ればよいと祈った。分かれる覚悟はできていた。ただ、まだ、僕はこの柔らかさを放せない。いつか心もようやく別れることがかなう時まで、僕はこうして、彼女を抱きしめ、噛み付き、様々の痣を残そうと思う。そうして、別れた後も、その傷が残ればいい。痕は消えても、心に僅かにでも残ればいい。そうして時折思い出す。彼女の浮気を知ってなお、なかなか別れられなかった情けない恋人のいたことを。
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