5人が本棚に入れています
本棚に追加
彼女は微笑みながら僕の顔を覗き込んでいる。愛嬌のある顔だ。僕は冴子のそんな純朴そうなところが好きだった。不意に脳裏をよぎったのは、彼女との出会った時の事である。
二〇〇六年八月中旬のこと。昨年の夏季休講中の話だ。大学の図書館で偶然見かけた人が冴子だった。夏季休講中と言え、人はやはり多くいる。そのため、特別、彼女に声をかける理由はない。けれど、同じ科目を取っていたため、なんとなく顔を覚えていたのと、恋人のいない自身の身の上の改善のために声をかけた。声をかける直前は必死で考えていた。どのようにして彼女の警戒心を解こうかと。突然見知らぬ(顔だけは知っていたとしても)男性に声をかけられたとあっては怯えも混じらざるを得まい。
女は時として小動物、とくに犬猫のような様相を呈す。下心に対して敏感に反応し、固く警戒する。警戒心を一度持てばなかなか打ち解けることはかなわない。異性との付き合いではそこが最も難しいところだと僕は思う。
しかし、彼女の様子はまったく異なるものであった。警戒の気配を微塵も感じさせなかった。警戒していないふうな演技をしていたとするには意味も理由もない。その日のうちに映画を一緒に観に行こうと、約束することができた。その後、大して間をおかず僕と彼女は付き合いだした。しばらく付き合っていて思ったのは、やはり彼女は警戒心が希薄であるということだ。
最初のコメントを投稿しよう!