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「ありがとうございました。」
互いに礼をし、師範の前に戻る。
「柚音。横薙ぎから切り上げへ転じる早さはよかったぞ。たが全体的に事を急いていたな。先手必勝とは言うが、冷静に相手の動きと攻め時を見極めることも肝要だぞ。」
師範は多津彦に視線を転じる。
「多津彦。虚をつき攻め時を作ることは、相手を己の流れに引き込むよい策と言える。しかし決してその策に溺れてはならんぞ。……二人とも、肝に銘じるように。」
「「はいっ。ありがとうございました。」」
二人は一礼をし、道場を辞した。
道場を出るとすぐに、二人はくだけた口調で話し始める。
「う~、また多津兄ぃに負けた~。」
「師範代が目録に負けたら、面目がたたん。それに父上が言うように、おまえは見極めがまだ甘いんだよ。修業が足りない。」
師範代の多津彦は、この道場の主である満彦(みちひこ)の一人息子だ。
柚音は幼い頃に父親を流行り病で亡くし、母親もその後を追うように亡くなってしまったため、父方の伯父である満彦に引き取られていた。
二人はいとこ同士であり、兄妹弟子なのだ。
「そりゃあ、私のほうが年下だから、多津兄ぃより修業が足りないだろうけど。鍛練してそのうち追い越してやるんだから。」
多津彦は笑顔から一転、真剣な表情で柚音を見つめると、静かに問うた。
「なぁ、ゆず。おまえいつまで剣術を続けるつもりなんだ?おまえももう十七だ。嫁に行ってもおかしくない歳だし、そろそろ嫁入りの修業をしたほうがいいんじゃないか。」
多津彦の言葉に、柚音は眉をつりあげた。
「嫁入りの修業なら、日々の家事で鍛えてるわ。剣術をやる条件が、『家事を優先すること』なんだから。」
満彦の妻の志津(しづ)は、女の子の柚音が剣術をやることに反対していた。
だめだと言っても、柚音は頑として聞かなかった。
そのため炊事、洗濯、裁縫をきちんと身につけることを条件に、剣術を許した経緯がある。
「武芸をやりたいんなら、薙刀をやればいいじゃないか。作法や護身術として習うおなごもいるんだし。」
ますます柚音の眉がつりあがった。
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