二つの足音

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「すみません、遅くなりました。」 算盤(そろばん)をはじいていた河合が顔を上げた。 柚音の顔を見ると笑顔を浮かべた。 「ご苦労様。そういえばなんだか原田さんと八木さんが言い合いをしていたみたいだけど、何かあったんですか?」 そう問いかけられて一気に記憶が巻き戻り、脳裏に水浴びをする原田の姿が蘇る。 収まったはずの恥ずかしさがぶり返し、頬が熱くなったような気がした。 思わず手で顔をぱたぱたとあおぐ。 「原田さんが中庭の井戸で水浴びしてたのを源之丞さんが見咎めたみたいですよ。あ、これさっきの書類です。」 少々苦しい理由だと思うが間違いではないだろう。 柚音はやや早口になっている気がしたが、話をそらす為に頼まれていた書類を手渡した。 これ以上突っ込まれはしないかとひやひやしながら河合を窺う。 「見咎めただけにしては、八木さんの剣幕がすごかったけどなぁ……」 河合は納得いかない様子で首をひねる。 しかし書類に目を移すとすぐにそちらに集中し、ぱらぱらとめくり始める。 柚音はそれを目の端に留めながらほっと一安心し、途中になっていた作業に戻る。 「やっぱりなぁ……」 しばらく書類に目を通していた河合がふと大きな溜息をついた。 「どうしたんですか?」 がくりと項垂(うなだ)れる河合を見て、柚音の脳裏に疑問が浮かぶ。 ――届ける時にちらっと見た限りじゃ何かの目録だと思ったけど、何であんなに落ち込んでるんだろ? こちらの視線に気づいた河合が、束になった書類の一番最後の紙を見せてきた。 「実はさっき届けてもらった書類は、先日の騒ぎで角屋から来た請求と目録だったんですよ。その支払いの了承をいただこうとしたら、見事に不可にされてしまって。」 先日芹沢が暴れた上、七日間の営業停止命令を出したということは聞いていた。 原田と永倉が『楽しみを奪われた』と的外れな方向で怒っていたのを思い出す。 こちらに向けられた書類には、大きくはっきりと朱色の墨で書かれた不可の文字が鎮座していた。 その筆跡は女のように流麗な筆跡だが、何故か断固として認めないと言いたげな力強さがあった。 その下にも同じく朱色の墨で小さく何か書かれている。
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