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このまま言われっぱなしでは気が済まない。
斎藤が言っていたように、因縁をつけたなら最後まで責任を持ってもらわねば。
「そうですよね。巡察中ならともかく、稽古で私に負けたりしたら悔しいですよねぇ。」
軽快に歩いていた男が、ぴくりと肩を震わせて立ち止った。
遠巻きの者たちにも、ざわざわと動揺が広がっていく気配がする。
「何だと……?」
さきほどまでの芝居がかったからかい調子が一転、男は低い声でこちらを振り返る。
眉を吊り上げ、無言でこちらに歩み寄って来る。
「勘違いしないでもらいたいなぁ。俺はお嬢ちゃんのためを思って言ってるんだぜ?」
男の口調は軽口に戻ったが、声音はさらに低さを増し、威圧的なものを含んでいる。
「女が顔に怪我なんかしちゃ、嫁に行……」
「私は誰にも嫁ぐ気はありませんので、その心配は無用です。」
柚音は話の終わりを待たずにぴしゃりとはねつけた。
嫁ぐ気があるなら、最初から壬生浪士組に入ったりしていない。
男の片眉がぴくりと跳ね上がった。
「……拗(す)ねてみせれば可愛げがあるっていうのによ。稽古の相手してもらえないからって、そんな減らず口叩くもんじゃねぇなぁ。」
男は柚音に視線を合わせると、目を覗き込みながら頬をぴたりぴたりと叩いてくる。少し湿った手の平が肌に張りつく感触が気持ち悪い。
「……稽古の相手を、お願いします。」
再度手合せを申し込むが、男は苦虫を噛み潰したような顔をする。
「さっきも言っただろうが。俺はお嬢ちゃんの剣術ごっこに付き合ってるほど、暇じゃねぇんだよっ!」
忌々しそうに舌打ちをして吐き捨てる。
「……永倉さんと斎藤さんは、そんなことはひとつも仰らずにきちんと相手してくださいましたよ?」
幹部二人の名前を出すと、男は怯んだ表情を見せた。頬を叩いていた手が宙でぴたりと止まる。
「……私だって、永倉さんに一定の実力を認められたから今ここにいるんです。私の腕が未熟と言うのなら、実戦を以って教えてください。」
男を見上げて睨みつけてやる。
「……その根性だけは認めてやる。いいぜ、手合せしてやるよ。だが俺は手加減できるほど、あの二人みたいにうまくねえぜ?泣いても知らねぇからな。」
男はばきばきと指の骨を鳴らし、竹刀を手に取るとこちらに投げつけた。
『おい、止めろよお前ら!』という誰かの制止が聞こえる。
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