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柚音は竹刀を正眼に構えて男と間合いを取る。
対する男は、柄を握った拳を額の高さまで上げ、切っ先を天井に突き上げる――上段の構えだ。
互いの睨み合う視線がぶつかり合い、ぴりぴりと静かな火花が散る。
周囲の動揺を他所に、柚音と男は完全に臨戦態勢となった。
制止の声は止み、巻き込まれまいと遠巻きの輪が音もなく壁際へと遠のく。
その時道場の戸ががらりと開いた。
「とにかく来ればわかるって、一体何が……」
少々困惑気味の藤堂が入ってきた。まずいと思った誰かが近くにいた藤堂を呼んだらしい。
道場内の緊張感に気づいた藤堂は、輪の中心にいる二人に目をやる。
しばしじっと見つめた後に小さく溜息をつくと、藤堂は人垣を割って、向かい合う二人のそばに行く。
「何があったか知らないけど、その辺にしときなよ二人共。」
だが二人は返事をせず、睨み合いを続ける。
藤堂は二人の視界を遮るように、間合いの中間に立つと再び口を開く。
「聞こえてるだろ?道場は果し合いをするところじゃないよ。」
さきほどよりも語調を強めて忠告する。
「……ちっ。」
しばし間があった後、男が小さく舌打ちをしながら竹刀を下ろした。
「藤堂さんに免じて、今日のところは許してやる。」
男はそれだけ言うと、無言で床板を荒っぽく踏み鳴らして道場を出て行った。
それと同時に場を包んでいた緊張感も消え失せ、周りの者たちも各々解散し始める。
「……で、何があったわけ?」
向き直った藤堂が事態の説明を求めて来たので、柚音はざっと事情を説明をする。
「腹が立ったのはわかるけどさ。あの人は隊士の中でもかなり腕っぷしが強いし、剣の腕も免許皆伝だよ。」
藤堂は少し呆れた様子で軽く首を横に振った。
「叩きのめされてたら、無事じゃすまなかったはずだ。相手と自分の力量を読んで、場合によっては引くことも大事だよ。巡察に出るっていうのに、そんなんじゃ心配だよ。」
「え?今何て……」
藤堂の言葉に柚音はぱっと顔を上げた。
「さっき土方さんが、あんたを巡察に出すって新八さんに話してたんだ。」
「本当ですか!?」
「嘘言ってどうするのさ。新八さんに確かめてごらんよ。」
足早に道場を後にする柚音を見送りながら、藤堂がつぶやく。
「やれやれ……新八さんの言っていたことがよくわかったよ。根性というか、負けん気の強さは男顔負けだ。」
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