誕生

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作品を作らなければならないという使命感があった。それは、今まで自分が活動してきた生活のなかでの過ち、あるイメージだけを残して自分が過ごしてしまった頃というのがいけないような気がしてならなかった。 十代の代弁者と言われることにぼくはなんの抵抗もなくそれを受け止めながら、それでもきっとわかる人はわかってくれるだろうと思って歌い続けた。だけど結局、最終的に残ったものは何かっていうと、コマーシャリズムにのったレッテルだけだった。そしてそれが、ある種悪く作用した。 なぜ悪く作用してたかというと、ぼくはそれでもわかってくれるだろうと思って生活していくなかで、もしかしたらいけないんじゃないかと思うことまで受け止めて、勘違いされるに決まっていることまで受け止めてやってきたことが、結局わかってもらえないことにつながた。 それが最終的に自分の何になったかというと、結局自分の欲望の姿でしかありえなかった。 あまりにも野放図にしていた自分の姿の残像は、非常にぼくを苦しめた。違うかもしれないと思うことを飲み込めば飲み込むほど、自分自身のスタンスは見えなくなっていったけど、リスナーにとってはとっては受け入れやすくなった。非常に扱いやすいものに変わっていってしまった。自分としては変わり続けていくんだけれども、それに追いついてこれる人間がいなかったということかもしれない。だからいつまでたっても「卒業」だとか「十七歳の地図」にぼくの視点が集約されてしまう。「次があるんだよ。努力していかなくちゃだめなんだよ。愛というのは追求していくことの中庸で、本当にそぎ取っていくものはそぎ取って、どんどん自分を磨いていくことなんだよ」、そう、磨いていく姿をぼくは歌いたかったんだけれども、狂気の姿だけに終わってしまった。 ぼくの唯一の誤算というのは、リスナーたちがそれだけのことしか理解しえなかったことだと思う。誠実さより、ファッション的な感覚のほうが強く残っていった。もちろんぼく自身もファッション的なもののなかで活動していくことを享受はしていたけれども、そこまで強く残るものだとは思っていなかった。そして最後にたどり着いたところというのは、腹を決めて立った代々木オリンピック・プールだった。
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