誕生

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ラストティーン・エイジ・アピアランス。最後ではなかったんだけれども、自分の意識のなかでは二十歳を超えて次のステップに踏み出すとき、「おまえらどうしてわかってくれなかったんだろう」と考えたときに、ぼくはいつか必ずこの自分というものの概念や価値観をゼロにしてでもいいから、もう一度君たちと対等に話がしたいと思った。そのためにすべてを捨てたんだと思う。 ぼくはオリンピック・プールで、ある種とてもカリスマ的な言動をファンに対してメッセージとして残している。つまり今まで持ってきた既成概念を捨てて、自分はゼロからやり始めてみる。信じる奴はついてこい、と。ぼくはその間にもしかしたら命を落としてしまうかもしれない……それはいろんな意味でね。だけどぼくは一生懸命やっていくつもりだときちんと意思表明だけはしてから、新たなぼくというものを自分自身が見つけていきたかった。ぼくの音楽生活のなかの沈黙の期間はそういうことだった。そして今回のアルバム「誕生」に至るわけなんだけれども。 休んでいる間に音楽のルーツをかんがえたり、音楽の変遷を見ていたんだ。バンド・ブームだとかそういったものが、ぼくのやってきたこと、またぼくの言い尽くせなかったことを、次に出てくる人が言ってくれるかずっと期待はしていたし、言ってくれたら嬉しいなと思っていたけれど、結局、誰も言わなかった。すごく残念だった。というより、ぼくは納得できなかった。 ぼくが休んでいる間にも、みんなを励ますような歌はたくさんあったと思うし、みんなを感動させるような歌はたくさん生まれたと思う。だけどロックという言葉とかファッション的なものは流行ったんだけど、本質的なものはまた1に戻ったみたいな感じがした。たとえばセックス、ドラッグ、ロックンロールの次に、もっとセンシティブなミュージシャンたち、ビリー・ジョエルやジャクソン・ブラウンとかが出てきたわけでしょう。アメリカやイギリスの音楽の変遷を見ていると、常にそういった誠実なミュージシャンが社会的なものを訴えかける。人の心の変容も含めてね。いつもそういうふうに繰り返し繰り返し歌い続けて進歩していってると思うけど。日本ではある種のレベルまでくるとラヴソングとかニューミュージックぽいものに戻って安心してしまうところがある。それも音楽の変遷のなかのひとつのけじめなのかもしれないけれど。
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