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あれから私たちは宿へと戻った。
私を売ったという奴がいるはずだからと警戒していたら、タクトがその必要は無いと言う。
……きっとタクトが何かしたのだろう。
そうして幾日か滞在して、私が動けるようになった頃の夜、彼が一言。
「なあ、俺はタクトだぜ?」
不意に言われて一瞬混乱したが、はたと気付く。
名で呼べと言われているのだ。
そういえば、あなた、としか呼んだことが無い。
仕方が無いので小さな声で呼んでやると、さも嬉しそうに笑うものだから、顔を伏せた。
それからその直後に、肩に触れる手を感じた。
「何?」
そっと見上げると、くすくすと笑っている。
……この野郎。
もう一度顔を伏せた。
「なあ、ラナって、呼んでいいか?」
ぴくりと身体が震えた。
そうか、自己紹介の時、タクトのやり方にあわせてやったから、その呼び名も言ったのだった。
けれど……。
「……私は、ラナ様、って呼ばれてたのよ」
「え?」
「……その呼び方は、嫌。私は、ライナ」
っ……!
それだけ言うと、急に抱きしめられた。
「いつか、教えてくれるか?」
耳元で囁く声に、瞳を閉じる。
小さく、頷く。
タクトなら、良い。
これだけ馬鹿正直な人なら、いつか、話せる。
と、思う。今は少し怖くて、口に出せない。
今は、この与えられる生温いものに浸かっていたい。
ゆっくり、休みたいのだ。
「ライナ……」
掠れた声で呼ばれた瞬間、名前が特別に思えた。
何か、何か意味があったような……。
大切な、ものだったような……。
「あの……」
「ん?」
「なるべく、ラナが……良い」
「……?」
「あなた……タクトは良い、けど、ライナって、呼ばれたく、無いの」
「! ……あぁ、分かった。他の人にはラナで紹介しような」
タクトのその言葉に口を開きかけたが、思い直して、ただ首を振って返すだけにに留めた。
理由があるのだと、続けようと思った。
何かあるのだと。
が、見上げようと思って瞳を開いたものの、何故かタクトの顔が見られなかった。
どうしてかしら。
自分の心が読めない。
私に回された腕の力が強くなった。
私はもう一度瞳を閉じて、タクトに身を委ねる。
今度こそ、このまま眠ろう。
この、心地良い場所で……。
私は、タクトの胸に擦り寄ってから、温かな闇に意識を飛ばした。
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