68人が本棚に入れています
本棚に追加
美しい月が宵闇を照らす。
時刻は深夜を回り、人々が寝静まった京の町。
静寂がこの世界のすべてではないかと疑ってしまうほど静かだった。
その町を駆ける人影がひとつ。
それは歳が二十に届くかどうかの若者であり、その華奢な腰には二振りの刀が差してある。
耳飾りの鈴が控え目に鳴り、高い位置で結ってある色素の薄い長い髪は、走り跳ねる度に透明な音を奏でて揺れた。
いたって普通の格好をしているが、不可解な部分を述べるとすれば、その身体は血に濡れているというところだろうか。
後ろを振り返る。
蛍のようにちらちらと揺れる提灯の光や、怒鳴り散らす声に思わず舌打ちした。
「しつこい……っ!」
さらに走る速度を上げるが、なかなか撒くことが出来ない。
もうすでに足は限界を超えており、これ以上走り続けるのは不可能だと悟ったのか、角を曲がると建物の影に隠れた。
全力で走ったことと見つかってしまうかもしれないという緊張で、心臓が胸の奥で激しく脈を打っている。
じっと音を立てないように、慎重に荒い息を整えた。
「……何故、私っ……は……」
頭がくらくらする。
おかしい……。
何故何も思い出せない?
頭の中を疑問がぐるぐると駆け巡り、そこでぷつりと意識を失った。
.
最初のコメントを投稿しよう!