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『富士とはどの様な山だ?』
信長は何度も家臣に同じ事を聞いた。
『絵や歌で詠まれる程に美しいものか?』
そうである。信長は富士を見た事がなかった。
『是非、駿河路より帰りしな富士見を遊覧しながらお帰りなさいませ』
ふっくらとした顔の家康が信長に薦めた。
薦めるからには…自らが接待しなければならない。
この当時…。
誰よりも美にうるさく、誰よりも気遣いに厳しいこの天下人を家康や最高の接待にて遊覧させる事を決意した。
領内の路筋には信長の為の休憩所のみならず、織田の雑兵・足軽に至るまでくつろげる様に炊き出しや厩舎も用意させた。
一カ所、二カ所ではない。
駿河・遠江・三河に於ける領内の端々にまで整えさせた。
陽が落ちると篝火を大量に焚かせ昼間の様に路を照らした。
沿道の警備も徹底して行い道中の安全を先ずは優先させた。
『三河武者の馳走。しかと受けたりっ』
中でも信長を最も喜ばせたのは『急流の渡り』であった。
家康領内にある幾つかの川に急流で知られる川があった。三河の武士達は信長を輿に乗せて急流を渡ると何度も岸に戻っては尾張兵を肩車に乗せ川を渡った。浚に信長が喜んだのは上流で手を固く繋ぎ、横一列になって急流を和らげている三河者達の姿であった。
『徳川殿。安土へ参られよ』
美濃との国境に於いて信長は自ら家康の手を取り言った。
今度は信長が家康を接待する番であった。
『では、後程。お伺いたてまつります』
家康は慇懃にお辞儀をして信長を見送った。
(武田攻めより骨折りであったわ)
家康は安堵の溜息を深々とついた。
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