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信長は常に多方面に敵を抱えているが為に他の戦国大名家と全く異なる統制機構を作っている。
織田家に於いて即ち信長が全てであり、彼にとって信長一人が織田家そのものであった。
信長に仕える有能な指揮官は彼の為に命令を遂行する為の一個の道具であり、また彼は有能な道具は事の他大事にその才能を愛した。
織田家は云わば信長による中央集権であり北陸方面の柴田勝家にしろ中国方面の羽柴秀吉にしろ、彼等は信長から万余の軍勢とその所領を預かっているに過ぎない。
およそ封建的な中世の日本にあって このような形態で国を統治したものは皆無である…。
他の大名家は違う…。
甲斐の武田信玄にせよ相模の北条氏康にしてもこのような手法は頭にもなかった。
戦国大名はその領内の土豪・小領主に土地の所有権と安全を保証しいざ合戦となれば彼等がそれぞれ足軽人数を揃えて参陣して集まると云うのが通常であった。
いわば戦国大名家は一種の連合国であり大名はそれらの上に担がれた盟主であった。
つまりその根底が織田家は違う。
光秀自身もやはり中世の封建主義から脱っせ得ないのか未だに心の底からこの体制には馴染めていない。
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