安土行脚

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明智光秀の主君である織田信長はその生涯で幾つも居城を代えた。 自らその居城をここまで代えて行った大名は他にいないであろう。 彼は那古野城→清洲城→小牧山城→岐阜城→安土城とその生涯で常に前線に近い城を居城としていった。 後年、徳川家康が岡崎城から浜松城へ前進転移したのも信長の手法を真似ての事であろう。 信長には他の戦国大名の様に産まれ育った城を、権力を持つに従い拡張改装したりするのでなく、交通の便(地の利)と商業的価値があるかないかと言う事が最も重要な判断要素であった。
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