王の冥い遠足

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 夜。草木も眠る、丑三つ時。鋭利な牙のように澄み切った夜天には、煌々とした満月が鎮座している。夜の王に相応しい、美しい月夜だった。  全て生物が死に絶えたかのように、動くものの気配は無い。……ただ一人、悪魔の居城のテラスで涼む、緋色の少女を除いては。  コトリ  小気味よい音を立てて、葡萄酒の入ったワイングラスが彼女の手から離れる。グラスに映りこんだ月は、さながら何時かの異変の時のように、紅い色をしていた。  ――ああ、血が沸き立つのを感じる。夜の王、吸血鬼たる自らの血が!  彼女は無邪気とも、獰猛ともとれる笑みを浮かべると、彼女の背丈に合わない、些か高過ぎる椅子から降り立つ。  ――こんな夜は、アイツに会いに行くに限る。私の退屈を紛らわすことが出来るのは、アイツしかいないのだから  一陣の突風が吹き、同時に彼女はテラスから身を投げる。彼女の黒い翼はその風をしっかりと捉え、力強く羽ばたいた。  ――――今宵は  どこまでも暗い湖面の上を、彼女は夜気を切り裂き疾駆する。  ――楽しい夜に、なりそうね  彼女は東に向けて飛び去った。後に残るのは、静寂。湖に浮かぶ月が波紋に揺れた他、動くものは、何も無い。  
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