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――じゃあ今日は満月記念日だね。
もう、駄目だった。
もう、抑えることは出来なかった。
頭の奥、いや心の奥底から記憶が、幸せだった頃の幻想が、止まる事を知らない濁流のように、大量に溢れ出してくる――彼女の可愛らしい小さな顔。水を梳いているかのように櫛が通る黒髪。抱き締めると壊れてしまうんじゃないかと思うくらい細い身体。僕の手よりもずっとずっと繊細な手の平。透き通るかのような高い声で楽しそうに笑う姿。頬を膨らませて、でも全然怖くない怒った表情。掃除を全然しない僕を見て呆れた顔をする彼女。見ている僕が苦しくなってしまう様に、哀しそうに眉を下げた顔。恥ずかしそうに頬を赤らめている姿。小さく綺麗に微笑みを見せる彼女――そんな彼女と今まで過ごしてきた色とりどりな思い出――。
その全てが僕の眼の裏に浮かび上がってくる――。
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「見て見て! 凄く綺麗だよ!」
君のほうが綺麗だとは恥ずかしくて言えるはずも無かった。
「タバコは身体に悪いんだよっ」
それじゃあ、なんでオイルライターなんかをプレゼントしてくれたんだ。
「ボーっとするのは、人生無駄にしているのと同じ事だから止めた方が良いよ」
自分でも分かっていたけれどいつの間にかそうなってしまうんだ。
「じゃあ今日は満月記念日だね」
ただ手をつないだだけじゃないか。でも嬉しかった。
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