3人が本棚に入れています
本棚に追加
そうだというのに、もうその時の私はそのスリルに胸を高鳴らせ、どのように持ち去れば最も自然かを何度も頭の中でシミュレートしていました。伊勢原か、最低でも鶴巻温泉で下車してくれろと、その中年に向かってどれほど念じたものか知れません。もし、この中年が鶴巻温泉で降りないのであれば、わざと乗り越して、向こう二つ三つの駅まで堪えてみようかとも思いました。
しかして幸運なことにその男は鶴巻温泉に着くや否やそそくさとリュックサックを背負い、降車口に向かったのです。なんという幸運。
私はドアーの開くのを離れて待って、ブリーフィングケースに手をかけます。ドアーが開き、皆ぞろぞろと降りていきます。
ケースを引っ張るようにして降ろし、脇に抱え、自然体を意識し、なんとか降車したのです。
いよいよ興奮は頂点に達します。今に、「泥棒!」と大声で叫ばれるのではないかと気が気ではございませんでした。始発駅からあるとはいえ、絶対の確信とはなかなかもてない物です。
なんとなく降車口すぐ近くの改札から出るのを憚られて、線路を挟んで向こう側の改札に向かいました。線路を渡る陸橋の半ばで、それこそようやく、「中身をどこで改めればいいか」という基本的な問題に気がついたのです。原動付自転車を停めてある駐輪場で改めるか。いやいけない。改札から出て、とんぼ返りしてのでは駅員に訝しがられるおそれがある。ならばプラットホームのベンチか。いいや、あからさまに怪しいではないか。
最初のコメントを投稿しよう!