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聖書に、こんなエピソードが書かれています。 イェスキリストが、旅の途中、ある姉妹の家に、宿を取ります。 イェスファンの姉妹は、大喜び。 姉は、イェスをもてなすために、大忙しです。 おいしい料理、ぶどう酒、おいしい水。 妹は何をしていたか、イェスの話に聞き入っていました。 姉がキレかけます。 さっきから私ばかり働いています。 イェス様、妹にも手伝うように、言ってやってくれませんか。 イェスは、姉の一生懸命もわかっていますから、こう、静かに諭します。 「あなたは、世のことに、気を取られすぎている。世に用事は多いが、ほんとうに大切な用事は、そう多くない。妹は、良い方を取った。彼女から、それを取り上げてはならない。」 イェス様は、神ですから、おいしい料理や、ぶどう酒が欲しければ、自分で調達出来るのです。 その時、イェスが一番して欲しかったのは、話を聞いてもらう事だったのです。 だって、イェス様は、人間に、警告しにきたのです。 あなたがたは、神の子であるのに、神を見失い、罪ばかり犯している。父なる天の神は怒っている。世を滅ぼそうとまで考えておいでだ。 悔い改めて、父のところに帰りなさい。 それを伝えるのが、一番したかったことなのです。 最後、イェスは、全人類の罪を我が身に一身に負って、十字架上で、私たちの身代わりとして、命を落としました。 かわりに、私たちは、破滅を免れたのです。 妹のように、話を聞いて、父に帰る人をたくさん作りたかったのです。 イェスは十字架上で、なおも、自分の命の命乞いはせず、私たちに対する神の赦しを乞いました。 神よ、この者たちをお赦し下さい。彼らは、自分が何をしているか、わからないのです、と。
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