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大西中将は昭和19年10月17日マニラに赴任した。
19日午後にマバラカット飛行場に出向いた。
そして、このマバラカット飛行場の第201海軍航空隊本部において歴史的な会議が行われたのである。
大西中将は遂に、米軍空母を1週刊くらい使用不能にし、捷(ショウ)一号作戦を成功させるために
『零戦に250㎏爆弾を抱かせて体当たりをやる他に、確実な攻撃法はないと思うがどんなものだろう』
と体当たり攻撃を部下達に提案した。
回答をすべき立場であった201空副長の玉井中佐は、『責任者の山本司令が不在の為、自分だけでは決められない』
と大西中将に話した。
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