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最初は、彼女の姿にばかり目が行った。 黒いストレートの髪、白い肌、整った顔立ちは離れた所からも確認でき、図らずも俺の心はときめいた。 しかし、演奏が始まると、俺は耳を疑った。 確かに彼女は、父親の話を殊勝な態度で聞いていたはずなのに! 何故、こんな歌いかたをする? 何故、こんな酷い合唱を人前にさらす? 親父は何度も言ったはずだ。お前の歌いかたで合唱をやったら、ハーモニーを台無しにしてしまう。皆の声を聞いてそれに合わせなくてはならない。それが、合唱なんだよ、と。 しかし、今の彼女は父親の言ったことを何1つ理解していない合唱をしている。  こんな演奏は、合唱なんて言わない。いや、言えない。 「許せない」 俺は思わず声に出してつぶやいていた。 後になって振り返れば、どうして何の関係もない合唱部に対して、あんなに腹が立ったのかはわからない。 一緒に過ごした父親の教室でのレッスンで、二人で聞いた父親からの話を忘れている彼女。 父親へのぼうとく。 合唱へのぼうとく。 そんな立派なものではなくて、俺にとって、大切な宝物のような、彼女との時間を全否定されたような悔しさ。 俺の初恋へのぼうとく。 言ってみれば、俺の幼い、醜い、くだらない感情のせいだ。 俺の感情の暴走は止まらなかった。 一言、彼女に文句を言ってやりたかった。 「父親の言ったこと、そして、俺と過ごした時間を忘れるなんて、許せない」
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